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パラアスリート インタビュー:負けない気持ちのつくり方
諸石 光照
EY Japan所属のパラアスリートで、東京2020パラリンピック競技大会(以下東京2020大会)に車いすテニスで出場した諸石が、車いすテニス男子混合クアードダブルスにおいて、見事、銅メダルを獲得。このクラスでは日本初の快挙を、50代にして成し遂げた諸石。アスリート人生の醍醐味と、障がいがある立場から見た職場や社会について語ってくれました。
「負けず嫌い」を原動力に、チャレンジを続ける
──このたびはおめでとうございます。東京2020大会で銅メダル獲得、本当に素晴らしい成果です。
ありがとうございます。でも、あまり実感はないんですよ。むしろ自分はいつも挑戦者だと思っていまして。ただメダルを取ったことで、影響力は少し変わった気がします。「夜中まで観ていたよ」とか、「おめでとう!」とか、知らない人まで声をかけてくれます。できれば私がメダルをとったことで、「よし自分も!」と思う人たちが増えてくれるとうれしいです。
──テニスの試合は5~6時間におよぶこともあるとか。技術だけでなく、体力と集中力が重要ですね。
何時間も集中し続けるのは無理ですから、テニスではチェンジコートのとき、90秒の休憩があるのです。試合中も、ここぞというときにはしっかりと決め、力を抜いたほうがよいときは上手に流すというように、絶えずオンとオフを自分でコントロールする必要があります。テニスはメンタル勝負のスポーツでもあるので、正念場で集中する訓練をいつもやっています。
──50代になってもテニスを続け挑戦を続ける、諸石さんの原動力を教えてください。
ギランバレー症候群という、四肢に力が入らなくなる病気にかかったのは、29歳のときです。これからの人生をどうすればいいのかと悩み、もともと好きだったスポーツで、自分を表現したいと思いました。それで長い闘病生活のあと、36歳の頃にリハビリを兼ねて車いすテニスを始めたのが最初です。
その車いすテニスを、40代、50代になっても続けている原動力は、簡単にいえば、負けず嫌いな性格でしょうか。若い人に負けたくないという気持ちがあります。今の自分の年齢や体力で、どうすれば若者に勝てるのか、作戦を練ること自体を楽しんでいます。
壁を乗り越える、その工夫も楽しみのひとつ
──その競技生活で、これまでどんな壁にぶつかり、どう乗り越えてこられましたか。
「どうしてもこの人には勝てない」という、まさに壁にぶち当たった時期がありました。私より重い障がいのあるアメリカ人選手でしたが、本当に強くて、7回目か8回目の対戦で、ようやく初めて勝てたのです。
ずっと彼に勝てなかったのは、私の戦略が原因でした。よく観察し、その人が苦手としていたバックハンドに対する戦略を変え、はじめて勝機が生まれました。
あとはそう、年齢も壁といえば壁ですね。若い選手と戦うと、体力面で走り負けしたり、途中でパワーが落ちてきたり、試合時間が長びくほど不利になる。最後は精神面にも影響し、追い詰められてきます。
──年齢の壁については、「工夫をすれば、おじさんでも若者に勝てる」というようなお話をされたことがありますよね。
工夫はしますね。例えば、グリップです。私は他の選手とは異なり、ラケットの面が自分と水平になる握り方をしています。そのほうが素早くボールに対応でき、握力が弱くてもパワーが伝わりやすいのです。ロンドン大会あたりから、ずっとこのグリップで練習していますが、若い選手とやり合えるのも、その工夫のおかげかもしれません。
──諸石さんの今後の目標を聞かせてください。
パリ2024パラリンピック競技大会で、もう一度メダルがほしいですね。その前に、今年は中国でアジアパラ競技大会があります。前回のインドネシア大会に続き、男子ダブルスでは2つ目の金メダルを狙いたいし、前回3位だったシングルスでも、より上位の成績をあげたいです。
もちろん私にも、いつか引退のときは来ます。でも、ある年齢に達したから引退という考えは大嫌いです。昔、「体力の限界!」と言って土俵を去った大横綱がいました。本来、引退はそうあるべきだと思っています。でも今はまだできることがありますから、当分は挑戦を続けるつもりです。
社会設備の充実の次は、心のバリアフリーも進めよう
──EYに所属されて1年が経ちましたね。
早いものです。初めてEYを紹介されたとき、障がいのあるアスリートを10人以上も雇用していると聞いて驚きました。障がい者スポーツにすごく理解がある会社だなと思ったのです。
初めてミッドタウン日比谷の本社を訪れたときも、びっくりしましたね。私のなかで「会社の事務所」といえば、ゴチャゴチャむさくるしい場所という印象でした。ところがEYのオフィスは、広々として、おしゃれで、あまりにも自分のイメージと違いすぎて、会社だと思えなかったくらいです。ロビーなんか、まるでホテルみたいで。あれは感動でした。
──EYメンバーの多様性や、それを生かす社風については、どう感じられましたか。
EYは性別関わらず様々な人が生き生きと働いていて、年齢もまちまちです。性別も年齢も関係なく、20代、30代の若い社員の方も気さくに話しかけてくれて、開放的に感じます。健常者と障がい者の壁も、ありません。ここまでできる会社は、日本ではまだ少ないのではないでしょうか。
──諸石さんから見て、日本社会のバリアフリーは進んだと思われますか。
私が障がいを負った20年くらい前と比べれば、日本はずいぶん変わりましたよ。昔は車いす駐車場などなかったし、都心の施設でも、車いすで入れるトイレすら、ほとんどありませんでした。目指す建物に辿り着いても、入口にまた段差があって苦労するとかね。今はそういう不便さが、だいぶなくなってきています。
ただ、心のバリアフリーとなると、まだ改善の余地がありそうです。海外遠征のときなど、町なかで誰かがサッと声をかけてくれたり、車いすを押してくれたり、障がい者との関わり方がすごく自然なんです。日本では障がい者に声をかけるとき、ちょっとためらうことが多いですよね。「声をかけたほうがいいかな」とか、「かえって失礼かな」とか、構えたり緊張したりするのが、こちらにも伝わってきます。
──健常者と障がい者のコミュニケーションでは、何が大切なのでしょうね。
私のテニスのコーチは健常者です。テニスにかけては一流ですが、車いすの操作は素人です。逆に私は車いすの扱いには慣れているけれど、テニスは素人でした。だからお互い、わからないことは相手から教えてもらって、はじめてうまくいったのです。競技以外でも同じことで、素直な気持ちで向き合うことが大切ではないでしょうか。
EYはパーパス(存在意義)として、Building a better working world(より良い社会の構築を目指して)を掲げていますよね。障がいの有無だけでなく、性別、年齢、背景など、異なる特性をもついろんな人たちが、互いに思いやることのできる社会がつくれるといいなと私も思います。
──最後に、このブログを読んでいる方へのひと言をお願いします。
私は障がい者になったとき、車いすテニスに出合ったおかげで、人生にはまだたくさん楽しいことがあるし、楽しいことを見つければ人生は変わるんだと、気づいたのです。それが結果的に、今回のメダルにもつながりました。人生は一度きりです。どんなときも楽しみや喜びを探し、人生を大切に生きていきましょう。
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